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ライター  /  個人
folli21
ビジネス出版社で20年以上、編集記者として勤務。独立後は、硬軟あらゆるジャンルの記事をライティングしています。
経歴・職歴
インターネット関連媒体
期間 1996/08 〜 2009/12
会社名

株式会社日経BP

役割

Web媒体編集長/新規媒体開発長など(13年)

チーム人数

3~6人

詳細

●日経メディカル オンライン企画委員(2006年3月~:マネジメント人数=6人)

病院経営者、情報システム担当者を読者対象としたテーマサイト「Nikkei Medical Online-Medicai IT」の新規立ち上げの責任者として2006年3月に異動。07年4月にサイトを開設しWebマスター(編集長)としてコンテンツの企画/公開、収支管理など運用に携わる。

 *公開2年後にページビューを5倍まで引き上げ、サイトの認知度を飛躍的に向上させた。

 *08年度から事業モデルを「広告収益モデル」から「協賛収益モデル」へ転換。自ら協賛社獲得のために営業活動に参画した。

 *08年度第3四半期~09年度にかけてIntel、Panasonic、NECなど新規協賛社を獲得。約1000万円の売上を実現した。

●医療局医療情報開発 次長(2004年1月~:マネジメント人数=社内3人、社外3人)

ヘルスケア分野の「BtoC」サイトを開発する部署に異動。ビジネスパーソン向けに情報を配信するテーマサイト「BPNet-健康」を立ち上げた。

 *読者対象が大まかだった当初計画を、日経BP社刊行物の主要読者であるビジネスパーソンに対象を絞り込む意思決定をして成功を収めた。

 *コンテンツ配信システムには、専任スタッフを置かず、関係スタッフ全員が簡易に記事を公開できるシステム「MovableType」を採用。人件費、システム開発費を当初予算比で約300万円のコストを削減した。

 *自らも記事を執筆。記事のエビデンスを得るために製薬会社や医師などを取材した。

●Nikkei BPnet編集部 次長(2000年4月~:マネジメント人数=10人)

 *IT分野のWebニュース媒体「Nikkei BPNet」副編部に異動。筆頭デスクとしてニュースリリース、記者発表をカバーし、コンテンツを制作した。

 *社内外約10人のライターを得意分野や執筆の力量を鑑みながらマネジメントして、1日5~7本の記事をチェック、公開した。

●日経イベントニュース 編集長(1996年8月~:マネジメント人数=6人)

日経イベントニュース編集長に昇進。

 *Web媒体の編集長として6人の組織を束ね、ビジネスショウなどの主要展示会のほか、IT企業の独自展示会などを対象に、新製品、技術、ソリューションなどのニュースをインターネット経由で配信した。

ビジネス雑誌媒体
期間 1988/08 〜 1996/08
会社名

株式会社日経BP

役割

ビジネス雑誌 記者/副編集長(8年)

チーム人数

8~10

詳細

●「日経イベント」誌 副編集長(1994年9月~)

日経イベント誌副編集長に昇進。

 *主要テーマを企業のSP活動の分析/格付けに置き、サントリー、資生堂、ソニーなど有力企業の宣伝部を精力的に取材。

 *「年間優秀広告ランキング」などを企画し、高閲読企画となる特集記事を定番化した。

●「日経リゾート」誌 編集記者(1988年8月~)

 *総合保養地域整備法の国土庁、国内外のリゾート開発会社、不動産会社などの取材を通じて、法案成立/法案運用の問題点などを考察する企画記事などを執筆した。

スポーツ雑誌
期間 1984/09 〜 1988/08
会社名

株式会社ベースボール・マガジン社

役割

雑誌記者

チーム人数

5

詳細

●「テニスマガジン」誌 記者(1984年9月~1988年8月)
 *1985年4月に「テニスマガジン」編集部に配属。マルチナ・ナブラチロワ、松岡修三などプロ選手のインタビュー、技術解説などの連載を担当

広告・コピーライティング
期間 1984/03 〜 1984/09
会社名

株式会社日広

役割

コピーライター

チーム人数

3

詳細

●広告・宣伝物制作 コピーライター(1984年4月~1984年9月)
 *業務制作部制作課に配属。新聞と社内刷り広告のコピーライティングに携わる

受賞歴
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